着物の袖ってなんであるんでしょう?
洋服だって家事のとき邪魔になるのに、
着物のながーい袖って実用的じゃない。
衣服の歴史はわからないけれど、
日本舞踊をやっていると袖があることで
表現の幅が広がることに気づく。
袖そのものが感情を表す道具になるのだ。
あと、ものを受け渡したり何かを取るとき、
袖が汚れないように片方の手で袖を押さえることになる。このひと手間を無駄だと思うか、否か。
私はこの袖こそ、無用の用だと思う。
あってもなくてもいい着物の袖。
袖があることで袖を押さえるという動作が加わる。
この所作が美しく感じるのはわたしだけだろうか。
これは決して無駄な、無意味なことなのだろうか。
効率か非効率かと言われれば、非効率。
でも一見この無意味な動作のなかに、
こころの豊かさがあると思うのだ。
着物美人だと思うひとつに、このたおやかさがあるのではないか。
もし袖がなくなったらどうだろう。
機能的だが、それはもう着物ではない。
便利さを追求して、らしさを失ってはいけない。
ジャージや短パン、スニーカーは確かにラクだ。
スポーツウェアならなおさら汚れたっていいし、気にならない。
でも締め付けがないからこそ、だらしなくなりがちでもある。
着物のあえてのひと手間は、着物に限らず何にでも言えると思う。
袖があるから汚れないように、引っかけないように気を使うし、意識が隅々まで向くのだ。
そして大切に扱う。ここが大事なのだ。
それは例えば、いまあえて万年筆を使うようなものかもしれない。なんでも便利で軽量でコンパクト、お手入れラクラクだからこそ、手をかけて気にかけることを楽しみたいのだと思う。
そのこころが所作という目に見える形に現れるのだと思う。(大げさ?)